「家畜を育てて殺す教育」は教育でもなんでもなく子供に対する虐待行為だ

「家畜を育てて殺す教育」は教育でもなんでもなく子供に対する虐待行為だskeeem【2ch】ニュー速クオリティ:ガキが愛情かけて名前つけて育てた豚を食わせる小学校WWWWWWWWW

上記の記事を見て、非常に腹がたったのでこの手の教育の無意味さを論じるためにこの記事を書きました。

「命の教育」の勘違い

こういう「生徒に家畜を育てさせて、それを食べる命の教育」なる事例がちょくちょくにある。こういう行為は一見教育のようで、実際は教育になっていない、本当に無意味な行為だと感じる。

人は本能的に、家畜とペットを脳の中で分けて考えている。家畜に関しては植物を刈り取る時に特に同情心を感じないように、殺すときも価値のあるモノとして扱う。例えば中国大陸や朝鮮半島では犬は食べ物だ。しかし日本ではそうではない。これは中国人や朝鮮半島の人が日本人より残酷ということではない。文化的な違いで彼らの脳内では犬は家畜だとみなされ、日本人の脳ではペット、パートナー、愛玩動物だと認識されているからだ。

こういう勘違いの「命の教育」は家畜に名前をつけたり面倒見させたり、わざわざペット扱いしている。それを食わせて悲しませるのは単に人を悲しい気分にさせるだけ。これは無意味に人を悲しい気持ちにさせているだけで教育効果とは程遠い。例えば飼ってる犬を飼い主の目の前で殺して相手を悲しませてなんの意味があるのか?この教師はそれと同じことをしてるんだけど。

そもそも家畜を生きる手段として飼ってる人間は無意識的に家畜動物に対してペット的な感情はあえて持たないようにするだろう。そういう風に「家畜にペット的な愛情を持つな」と教えるわけでもなく、そもそも牧畜業につくわけでもない生徒たちの飼っている豚を殺して嫌な気分にさせる。教育効果もないのに生物を殺して相手を嫌な気分にさせるのは、これは完全に病的なサディストのやることとしか思えない。教育どころか、警察に通報する事案ではないのかな。「幼少の子供の前でその子供にかわいがっている世話をさせた動物を殺して食べさせる。」これは虐待ではないのか?近所のお兄さんが犬や猫に対してそんなことをしたら逮捕されるのでは?

食べ物の大切さって?

こういう教育を支持するバカ教師が言いがちな物言いが「食べ物の大切さを知る」。つまりこういう思いそうすことで食べ物をムダにしない心を学ぶというものだ。しかしその概念も極めて疑問。だいたい、食べ物をムダにしない、というのはすなわち食べ物を貴重に思っているということで、日本が貧しい時代は別に教えなくてもそんなことは十分に誰でも分かっていたことだ。

日本が急激に豊かになり食べ物に困らなくなって、貧乏な時代を知ってる年寄りがやたら言いたがる「食べ物の大切さ」、だが食べ物なんてなければ貴重、余ってればそうでもないというのは当たり前。余計な教育しなくても、また日本に食べ物がなくなればありがたみは分かる。そもそも今食べ物が余っている時に食べ物が貴重だった時代のことを持ちだされても、今余っている食料を貴重だった過去、あるいは貴重になるかもしれない未来に持って行ってあげることはできないのでほぼ無意味。食べ物が余っている時とないときとでは食物自体の価値がまったく変わっているので、同列に並べるのはほとんど無意味のだ。株価が下がったある銘柄を、「これは20年前まで株価が高かったんだから、高かった時と同様に担保として金を出せ!」と無茶をいうことと同じなのだ。

そもそもなぜ食べ物を残してはいけないか

そもそも教えている大人の側が、「食べ物を残さしてはいけない」って教育の趣旨を分かってるのか。食べ物を残してはいけないのは、栄養の知識がないガキの判断で好き勝手に食べさせたら栄養バランスが悪くて成長に良くないから。「大切な生命をもらっているのだから残すな」という物言いはなんだか宗教的で気味が悪い。
※そういえば昔は親に「お百姓さんに感謝しなさい」みたいなことを言われたが、今の農業補助金漬けの農家の現状を知っていると、とても感謝する気にはなれんな。

「大切な命を」「生産者に感謝を」みたいな物言いは、栄養の概念がない子供に手っ取り早く残させないためのわかりやすい方便だったにすぎないはずなのが、教える側がその方便のはずの「命の大切さを」なんて言ってるうちにそれが自己目的化、ひいては宗教化してしまって教義がエスカレートして子供のペットさえ殺してしまう。食べ物は宗教的な意味合いではなく腹減るから食う、健康を維持するために食う、別に感謝してるから食うわけじゃない。ちゃんと食わないと死ぬからだっていう本来の意味をちゃんと考えるべきだ。

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