※タイトルと本文は関係ありません。
韓国の船沈没事件、実に悲しい。ボクだって男の子ですから人並みにネトウヨ心はありますし、韓国に対して普段ああだこうだ腹はたてていますが、今回の事件だけはやはり痛ましい。なぜ痛ましいと思うのかというと、あれがほとんど未成年の若い子ばかりだというところ。あれが豪華客船に乗っていた大金持ちの年寄り、てな感じだったらどーでもいいわ自業自得だろ、まあそれが寿命だったんじゃないのと冷淡に思うのですが(それもどうかと思うが)、若い子が死ぬというのは実に悲しい。
若い子が死ぬと特に悲しく感じるのは、おそらく「生きていればもっと楽しいことを体験したり、いろいろな可能性があっただろうに」と思うから。しかし不思議なのは我々生きてきて、それほど普段自分の人生が素晴らしいなどとは思わないですよね。むしろ、よほど恵まれた人をのぞいて大概の人は中年過ぎると「実に無意味な人生だな」「これなんのために生きてるんだ俺」みたいなことは考えると思う。
でも、若い人が死ぬとどんなネガティブな人でも「どうせ人生なんてろくなことないんだから、早く死ねてよかったじゃん」なんて思う人は、精神を病んでいる人とサイコパスをのぞいてほぼいないと思う。普段自分の人生なんてろくなことなかったな、と思う人でもやはり若くして死ぬと「もったいない」「かわいそうに」と思うだろう。若くして死ぬのが痛ましいのは、やはりその後の人生は色々と価値があると思っているからこそそれを経験できなかった子たちを悼むわけであって、やはり大概の人にとって「人生は素晴らしい」ってのは実は心の奥底ではなんとなく感じてるじゃないでしょうか。
などということをつらつら考えました。だから竹熊さんがんばって!(本文と関係なし)
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