ノマド・フリー論争は結局のところ世代闘争ではないのか

ノマド・フリー論争は結局のところ世代闘争ではないのかskeeemイケハヤ氏を筆頭とするフリー礼賛論と、それに反発する人。この対立って単なる世代間闘争な気がした。最低限の生活費で自由に生きる派と、そんなもんで食えるわけないだろ目を覚ませ派。これ、親子の間でもよくある対立構図だよね。名指しで言ってしまうと前者はイケダハヤト氏、家入一真氏、高木心平氏、Techwave湯川氏など。後者は中川淳一郎氏、常見陽平氏といったところか。なるほど世代が違う(湯川さんは変わり者の例外ね)。

この両者、そもそも「フリーで食ってく」ことの定義が違うんだろう。家入さんとか湯川さんもそうだけど彼らは「一芸があって、いつでも楽しく飲める相手がいて、とりあえずカツカツ食ってければいいや派」。後者は「成功して肩書きと年収増やさないと女にも世間にも相手にされない!」という強迫観念(あるいは体育会精神)のある世代。そりゃかみあわんわ。

常見さんとか見てると「肩書き」増やすのに必死だもんね。こう言うと感じ悪いが、ある程度の地位を得ても常に必死に努力して上に行こうとしている。世代的には俺もちょっと分かる。あの世代は努力し社会に適応しないと社会的に死だ!という強迫観念が強い。フリーじゃ住むとこさえないぞ!社会的に抹殺されるぞとさんざん脅かされた世代。

俺が大学でバンドやってた頃、適当にやる派とミュージシャン志向の人がい。(俺は当然前者)後者は卒業後も就職せずにバンドやってたが、まともに就職した組からすると「あんなので食えるわけない。年取ったらどうすんだ」って感じだった。

が、まあ今見ると結果的にミュージシャンとして成功しなくても何とか食えてるんだよね。もちろん新卒できちんと就職活動した人に比べれば社会的地位や安定、年収は比べるべくもないんだけど、のたれ死んでるかって言うとそんなことない。テレビの番組テーマの作曲やゲームのBGM作曲、専門学校の楽器講師とか名前の出ない仕事とはいえそれなりに食えていけてる。若いころに戻って無理やり止めるほど悲惨ではない。

失敗しても「悲惨だ惨めだ」と自分で自分をやたら卑下しなければ、今の日本なら何やっても食ってはいけるよな、と思う。ある世代より若いのはそれを気にしないし、ある世代以降は気にしすぎて死んでしまうってだけなのかもしれない。俺は世代・価値観的には後者だが、案外前者のイマドキ貧乏若者論理もそんなに的は外れてないのかなーとは思う。

世代間の理解できない話といえば、なんかうちの親が国立大学信仰で俺が私大の偏差値が高いところに受かっても「ウチラの頃は私大なんて落ちこぼれが行くところだった」と鼻で笑っていたことを思い出す。理解し合えないよなー。

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