書店に行くと並んでいるビジネス啓発本の平積み。売れるものを優先的に並べて売る、というのは当然ですが、特定の流行りのビジネス本著者に集中しすぎていて、ウンザリすることも事実。
そんな「書籍バブル」の著者本人が、自らのバブルについてブログで言及する、という面白いことをやっていました。
もともとの発端は、雑誌「一個人」のコラム「ブックファースト遠藤店長の心に残った本」で「池上バブル」「勝間バブル」「茂木バブル」と著者名をあげてコメントしたのが発端。これに対して内田樹氏が言及し、それに茂木氏が反応、勝間氏もコメントを出す、という流れです。
書店の中の、新刊台やらランキング台やらフェア台やらいたるところに露出を増やし、その露出がゆえに書店員にあきられ、また出版点数が多いためにお客さんに選択ばかりを強い、結果弾けて身の丈に戻っていくのが書店「バブル」です。
「茂木バブル」は出版点数が増えるにつれて1冊1冊のつくりがスピード重視で雑になり、文字の大きさが大きくなり、内容が薄くなってきて、でもそれに対して書店での露出は増え、そして点数が多いことでお客さんが何を買っていいか分からなくなり、バブルが弾けました。
「勝間バブル」ははじめの切れ味のいい論旨が、出版点数を重ねるにつれて人生論や精神論のワールドに入り、途中「結局、女はキレイが勝ち。」などどう売ったらいいか書店界が困る迷走の末、対談のような企画ものが増え、結果飽和状態になり、弾けました。
これに対しての茂木氏の考察は、模範的な正論回答。「人からどう見えるかしらんが、そもそも自分ではバブルだと思っていない」論。
客観的な立場から見ると、ある時期、特定の著者の本がたくさん出て、それが潮が引くように消えていくように見えるのかもしれないけれども、著者、編集者 の側からすれば、一冊一冊を誠心誠意作っているだけのことである。
政治家や有名芸能人の記者会見のような、無難な切り抜け。まあ正論だし模範解答ですが、しこし面白みにかける。
これに対して、勝間氏はもう少し正直な本音。「バブルと認めるが、バブルと自覚してそれをも人生の役に立てる」論。
勝間和代公式ブログ: 書籍バブル論について~私も当事者の感想を入れます
実際、私もバブル、といわれるようなチャンスの中で1年間、「そこでしかできないチャレンジ」というのを繰り返してきました。これまでとは違った分野での 執筆、テレビやラジオなど新しいメディアでの企画立案、さまざまな社会変革に向けた政策提言などです。
面白いのは、勝間氏のこの論法「なんでも自分の人生の肥やしにし、皆に感謝する」というスタンスは彼女のバブルを生み出したビジネス啓発本の論調そのものであること。つまり自らの書籍バブルについて客観的にコメントしているはずが、いつの間にかそのコメント内容がバブルの材料となった書籍内と論調と同じなる、という客観→主観のループが起こってしまっている。
バブル書籍について外の視点から語ろうとしてるのに、いつのまにかバブル書籍そのものの文章・口調になっていて、「自分のバブル書籍について語るバブル書籍」のようなメタ的なループになってしまっている。これは本人が意識してそうしているのか、ついそういう物言いがクセになってしまっているのか。
まあ次あたり斎藤茂太先生にもコメントお願いしたい。って死んでるよ!
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