反ヘイトスピーチに関するごくごく私見

反ヘイトスピーチに関するごくごく私見skeeem主にザイトクとそのカウンター界隈についての私見。

確かに特定の国籍や民族を名指しして「死ね」というのは良くない。肯定するかと言われればNOと答える。絶対に肯定しない。しかしそれがヨーロッパやアメリカにおける「レイシズム」と同等か?法律でヘイトスピートを禁止すべきか?と言われるとやはりこちらもNOと言わざるをえない。

「◯◯人は死ね!」という言い方は確かに良くない。俺も人に死ねなんて言うべきじゃない、と思う。俺個人人に死ねなんて言わないし,言ってる人がいればたしなめる。しかしそれは平和で清潔な日本の基準でもある。しかしザイトク界隈の彼らは別に政党を作る規模もパワーもない。口先だけで特に何も実行はできない。(逆にカウンター側がチンピラ化して暴力をふるう始末)

あんな幼稚な行為にムキになって「法規制すべきだ!」と怒る人は、本当のレイシズムなんか知らないのではないだろうか。野蛮な国の差別意識。敵意がモロに暴力となり、命の危険まで感じる、警察までもが人種で暴力をふるう。レイシストが暴力どころか特定民族を殺しても、ろくに捜査も起訴もしない。それは本当の人種差別。

はっきりいうとほとんど無害でひ弱な日本の口先ヘイトスピーチを針小棒大にヘイトだヘイトだと騒ぎ立てているのは、やはり慰安婦をSex Slave呼ばわりしたり、穏健そのものの政権を軍国主義扱いするような、日本の国際イメージを意図的に損なうように国際的にアピールする特定国のプロパガンダが相当に含まれているとしか思えないし、それに賛同する人は一部の意図的にジャパンディスカウントをやる人たちと、そのプロパガンダにまんまと載るマヌケな人たちのワンセットとしか思えない。

国によって差別に対する意識、実害、治安、生活水準は全く違う。同じ言葉にしてしまえば「貧乏」といっても国が違えば実際の生活そのものはまったく違うのだ。日本の「ヘイト」と他国の「ヘイト」は同じ言葉でも内容は全く違う。それを単語だけ都合よく同じ言葉を使って、日本の現実をよく知らない外国人にご注進し、ヘイトだヘイトだと喚き立てる。そういう連中は、自分が外国で本当の命の危険を覚えるようなヘイトにあった時に「ああ、あんなのヘイトでも何でもなかった」と思い知るでしょう。

まとめ:
・差別的言動は避けるべきだが、言葉は同じ「差別」「ヘイト」でも、国によって実際の脅威はまったく異なる。
・日本におけるヘイトスピーチは現状まったく弱小かつ穏健で、法規制をするレベルとは思えない。(人が死んでいない)
・日本について過剰に国際イメージを落とそうとする勢力がある

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